車輪の国、向日葵の少女Q&A

(執筆:2010/02/03~ 最終更新:2012/03/18)



このページは、「車輪の国、向日葵の少女」に対し並々ならぬ思い入れを持つ私が、特にアンチの皆さまからよく挙げられる疑問・質問・ツッコミポイントについて逐一お答えしよう、という狂信者コーナーです。
多くの方の気分を害する恐れがあること、予めお断り申し上げておきます。



Q1.法月先生はなぜえりちゃんを射殺したのですか?

A1.一番の理由は、今回の特別高当人試験は、法月にとって森田健一を育て上げるための舞台であり、そのために他の候補者は全て邪魔な存在でしかなかったからだと思われます。車輪の舞台は全て法月によってお膳立てされていたというのは、試験がこともあろうに森田健一の故郷である点からも伺えます。
特別高等人育成という観点からすると理に適っていないようですが、1.法月にとって(樋口三郎の息子である)森田健一の優先度が個人的理由から他を圧倒するものであった か 2.法月にとってただ一人の候補を徹底的に苛め抜き社会への反発を爆発させた上で完全に叩きのめす というプロセスが極めて重要であった かのいずれか、あるいはその両方によるからではないでしょうか。
特に後者ですが、作中から、特別高等人にも2タイプの人間がいることが伺えます。一つは、与えられた仕事を最低限の労力で着実にこなす(だけ)の社会の犬。もう一つが、法月のように特別高等人の中でも抜きん出て優秀であり、自らが国を動かすだけの権力・実力・コネなどを持ち得る、本当に優秀な「社会の権化」たる特別高等人。
法月は、森田を自らの後継(あるいは右腕)的存在に育て上げたかったように見えます。そう考えると、他の候補生の一人や二人独断で排除しようと、厳然たる「社会(≒未来の森田)>個人(未来のえり)」のルールに何らもとらず、問題ないと考えられるでしょう。射殺は、法月にとって極めて合理的判断です。
射殺ではなく普通に不合格でいいじゃないという意見も一理あるのですが、上述の「社会(≒ここでは現特別高等人たる法月)>個人(未来のえり)」を森田に叩きこむ意図があった、と取れなくもないです。また、法月は森田を完全に屈服させるため森田には一度反旗を翻してほしかったわけですから、「森田の法月に対する反発(森田の中にある理不尽さに対する憤り)を強める戦略の一環であった」という解釈も出来るでしょう。

A2.ライター視点からすると、この射殺は、法月という存在が「車輪」の舞台となる村界隈では絶対的存在であることを暗喩しています。現代日本ではたとえ総理大臣だろうが最高裁判所裁判官であろうが、あくまで法に従い動くことが求められますが、特別高等人とは、超法規的存在(たとえ殺人を犯しても罪に問われない立場)であるということが読み取れます。

A3.併せて、法月の恐ろしさ・容赦なさも描いています。森田の試験監督とは言え、先生と生徒みたいな保護・被保護の関係ではなく、一歩間違えば森田をも射殺しかねない存在であることを描くことで、シナリオに緊迫感を与えたかったのではないでしょうか。

A4. A1とも重複しますが、作品テーマの視点からすると、法月とは本作においてまさに「社会」の権化であるということを端的に表すエピソードです。「俺がルールだ」ではないですが、法月とは本作における「理不尽な社会」そのものであるということが強く感じ取れるエピソードです。

後記:とは言え、プレイ数分で以上のようなことはほとんど読み取れませんし、「法月への反感を覚えた」だとか「法月とは恐ろしい存在だ」「イカれた舞台だ」と感想を持つのは正解ですが「作品自体がイカれてる」という感想を持つ人が少なからず出るのも、仕方のないことだと思います。そういう意味で、このシーンはあるいは描写不足であり、また本作が「人を選ぶ」理由の一つとなっているでしょう。
なお、A1.で触れた「2.法月にとってただ一人の候補を徹底的に苛め抜き社会への反発を爆発させた上で完全に叩きのめす というプロセスが極めて重要であった」については、Q7.A10.で再度触れております。



Q2.極刑でどうやって人が更正するんだ?

A5. 極刑は教育刑ではありません。A6にて詳細を。



Q3:先生!極刑が温すぎると思います!

A6.この問いに答えるために、まず車輪の国における刑罰の立ち位置について見直してみましょう。
法月は、刑罰の意味を大きく3つに分けて語りました。ざっくりと話すと、加害者自身に犯した罪に見合うだけの罰を与える絶対的応報刑論、一般市民に対する犯罪抑止のための相対的応報刑論、そして加害者自身の更正のための教育刑。車輪の国では、最後の教育刑に重きが置かれており、だからこそ罪に応じた義務が事細かに設けられ、また特別高等人による監督・指導がなされます。
しかし見落としてはいけないのは、車輪の国が日本よりも重きを置いているのはこの教育刑だけでなく、相対的応報刑論にも重点が当てられているという点です。それが何よりはっきり読み取れるのが、物語中盤以降で明らかになる連座制です。何も罪を犯していない者も、身内が罪を犯せばその罪の内容によっては連座で罪を問われ、義務を与えられる。作中で連座制が適用されていたのは極刑のみでしたが、このことからも、車輪の国という国家にとって特に実行されると厄介な罪に対して連座制が適用されることが伺われます。

さて、それを踏まえた上で、極刑「世界から存在を認められない義務」について。
実は本作の極刑とは建前の極刑に過ぎません。本作での極刑とは、「その者に対する罰の重さが一番重い刑罰」という意味よりも、「最も重い罪を犯した者に課せられる刑罰」という意味で使われているようです。
最も重い罪とは、言うまでもなく国家への反逆です。連座制を適用されることからも、いかに国家がこの手の反逆を厳しく取り締まっていたかが伺えるでしょう。
一応、「絶対的な孤独を与えて死ぬよりも辛い目に遭わせる」というのが名目となっているようですが、それはどちらかというとその罰を与えることよりも、国家への反逆者にはそういう恐ろしい罰が待っていると国民を脅すための刑罰のように思えます(相対的応報刑論重視)。4章冒頭で法月も口にしていましたが、極刑とは教育刑中心である車輪の国の義務の中にあって特殊な刑罰です。相対的応報刑論(刑罰は犯罪防止にとって必要かつ有効でなくてはならないとする考え方)に依るものです。
つまり、車輪の舞台における「極刑」とは、見せしめを主眼とした刑罰なわけです。そのためには、誰の目にも触れぬまま獄中とかにいるより、むしろ大いに外を出歩いて、そのみじめな様を晒してもらった方がいいわけですね。
「見ちゃいけないのに見せしめって(笑)」というツッコミには、存在しないかのように振舞うことと存在を認識しないことは全く別ですよと返答を。



Q4.極刑に課せられた奴やりたい放題じゃない バカかよ ていうかそんな社会ありえねー

A7. 車輪の国には実は「世界から存在を認められない義務」とは別に、「実質の極刑」というものが存在します。何かというと、ご存知、強制収容所。あそこに入ると高確率で死ねます。一応刑期というものも存在するようですが、収容所内では人権は全て認められず、使い潰しの機械認定を受けます。つまり、刑期が存在しているという点を除き、人間であると見なされなくなるわけですね。人間でないのだから、極刑という単語を与えられることにすら相当しない。
これは、強制収容所に関する数々の描写、また極刑を受けた身でさらに罪を犯した場合、極刑に違反した場合に強制収容所に送られるという記述から伺えます。
作中でも言及されてましたが、極刑に処せられた者がさらに罪を犯せば、即強制収容所行きです。つまり、死にたきゃやりたい放題ふるまえばいいし死にたくなきゃひたすら耐えるしかないですね。
日本より遥かに厳しい処置(収容所送り)が義務の背後に控えているから、犯罪抑止は可能である。こういうことではないでしょうか。 国家に逆らえばとりあえず見せしめの極刑ですが、被更正人の中でも手がかかるような奴(極刑違反はもちろんのこと、各種義務違反、また義務の解消の見込みがないと判断された者)は強制収容所送り。合理的!
どうでしょう。車輪の国が、歪みまくりではあれど、一笑できるほどチャチなシステムで動いているわけではないということ、ご確認いただけたでしょうか。
この国は、社会という存在が極めて重く人々を締め付ける国です。厳然たる「社会>個人」のルールを、国民に植え付けている国です。だからこそ、「教育刑」としての大義名分を掲げつつも、その裏では「一部連座制」と「強制収容所」という非人道的な暴力の支配をちらつかせ、国家の保安を守っているわけです。



Q5.SFなのに時々現代日本ネタが入ってるのはおかしくね?

A8.ギャグパートとシリアスパートは分けて考えましょう。これは本作に限った話じゃないですよね。



Q6:森田健一、完璧超人とかいってるわりに頭結構悪くね?

A9.私も、割とバカになってると思います。シナリオの都合上なのでしょうね…。



Q7.特別高等人試験で人も金も犠牲にしすぎアホか

A10. A1でも少し触れましたが、「車輪」の国では、社会の権化たる特別高等人一人の育成は、受験者個々人の命より重いのです。「社会>(越えられない壁)>個人」です。現代日本では個人の主権はかなり守られていますが、それはあくまで現代日本だからであって、たとえば戦争状態の国で国家の勝利と個々人の命とを秤にかけたりしませんよね。その時代時代、国に応じた価値観が存在するということです。
極端な話をすれば、仮に品行方正で頭脳も極めて明晰で国家のために身を粉にして働く超完璧人間が育成できるとしましょう。そしてその人間になる試験は、民衆の誰もが参加できるとしましょう。そういうシステムを持つ国の政治と、現代日本の民主主義による政治、どちらが優れたものになりそうですか?日本と即断できますか?またその根拠は?
今の話はまんざら私の妄想というわけでもなく、作中でも実際そういう記述がありました。樋口三郎のメモリの中にあるメモに記された「哲人」がそれです。車輪の国は、近い将来、立憲君主制(しかも議会はお飾り →実質独裁)に移行する予定だったようです。その君主たる「哲人」の有力候補が、法月だったということを考えると、A1.で触れた「法月にとってただ一人の候補を徹底的に苛め抜き社会への反発を爆発させた上で完全に叩きのめす というプロセスが極めて重要であった」という説も説得力が増さないでしょうか。



Q8.国家に反逆したら極刑なのなら、人を殺すとどうなるのっと

A11.本編で言及されていたのは「子供を持てない義務」(1章冒頭)でしたが、連座制と組み合わせるにしても温すぎる気がする…。以下は私の想像ですが、1章冒頭で言及されていたのは厳密には業務上過失致死罪の場合じゃないかなと。つまり、殺人の場合はもう少し罪が重くなるのではないかと思います。それを裏付けるものとして、5章の演説シーンがあります。あそこで、殺意なく殺人を犯した者およびその婚約者に対してこの「子供を持てない義務」が負わされていました。このことから、殺意無き殺人に対して連座制で「子供が持てない義務」が負わされることが伺えます。車輪の国で様々な義務が事細かなに決められているということを考えると、逆に、殺意有りの正真正銘の殺人に対しては、また別の義務が課せられるのではないかと予想できます。



Q9.国家を代表する特別に高等な特別高等人が、自ら規範となるべき特別高等人が、法を破っている。これが放置されているのは設定的におかしくないか。(例…法月の殺人、法月の死刑執行未遂、森田のクスリ)

A12.「自ら規範となるべき特別高等人」云々は、法月が森田を追い込む際に使った、いわば「建前」の台詞です。実質的に、特別高等人は超法規的行動が許されています。(その理由説明は書面上でしないといけないようですが)
つまり、特別高等人である法月は超法規的行動ができますし、本人も必要とあらば法を破ることに躊躇しません。殺人は、法月が必要だと判断したから行なっただけでしょう。詳細はA1をご覧下さい。死刑執行については、A10後半でも少し触れましたが、法月は既に自ら法を改正するための試験を行うだけの権限を持っているようです。確か5章で逃亡した森田へ電話をかけた時の会話にあったと思いますが、公開処刑が効果的であるようならばそれを採用する、というようなこと言っており、森田に「この国は時代を逆行しようとしているのか」と思われています。
なお、法月が準備を進めていた公開処刑ですが、彼が本気で公開処刑を行う気だったかは、正直怪しいところです。公開処刑は目的ではなく、要は森田に時間制限を与えてあぶり出すという、「思考を指定」する一環として行なっていたというのが主な理由のように思えます。
最後に森田のクスリを法月が黙認していた点について。法月曰く「社会に貢献している限り、罪には問うつもりはない」です。言うまでもなく、森田を最後に追い込むため、敢えてヤク中のまま泳がせていたわけです。もちろんそのクスリが、法月の試験終了まで森田の心身がボロボロになるほどのものならば法月も使用を許さず別の手段を考えたでしょうが、法月が調べた限り、総合的に見て「(法月が黙認して)問題ない」レベルだったのでしょう。



Q10.まなを国が率先して人身売買してるのって、どうなの。世界をリードする国じゃねぇの。

A13.まなは保護施設が潰れて路頭に迷っていたところをさちが連れ帰った異民です。戸籍もありません。法的にはまなは死んだことになっているのでしょう。
もしもさちが国を相手取り喧嘩をするならば、おそらく国は、さちがまなを拉致し、教育も受けさせず労働をさせていた点を突くでしょう。なによりもさちは、チャンスを与えられたにも関わらず(自らの怠けのため)まなを助けることができませんでした。つまり、さちがまなについて「人身売買だ」と国を批判することは、法的にもさちの心情的にも厳しいのです。
では法的にはどうなっているか。
戸籍のない異民の少女を、車輪の国の特別高等人が保護した。その際、同行していた南方の国の高官が、少女の境遇を哀れみ、自らの国で(戸籍も与え)王宮での働き口を与えた。(なお、その働き口はその国ではかなり好条件の働き口であるということが、2章でも語られていました)
こうでしょう。人身売買なんてとんでもない。
そもそも、その国が本当にまなを「買おう」としたのかは、不明です。その件については、全て法月の口からしか情報が出されてないからです。つまり、売買やその金額の上昇に関して全て法月の芝居であった可能性もあるわけです。というか、一介の少女に対するあの不自然な釣り上がりっぷりは、そうとしか考えられないでしょう。



Q11.5章の演説、あれでやってることは結局法月と同じじゃないの?バカな民衆を丸め込んでるだけじゃないの?

A14.同感です。だからこそ、あれは「車輪」という作品の本質ではないと考えます。
ただ、あの演説で描かれていたのは、社会という車輪に押し潰された民衆が、人間へと戻る過程だと思うのです。本当に強い人間は、演説などなくても「人間」でいられる、あるいは「人間」へと戻れるのでしょうが、世の中そうはいきません。時には、人をして社会の一員だと教える教育が必要であるように、人をして自らもまた自分で考え自分なりの「正しい」ことを守り、それを貫けるように導く導き手が必要なのではないでしょうか。



Q12.「成長物語」って言うけど、森田っていつ成長したのよ 勝負の決め手となったクスリネタ仕込んでたのはずっと前からでしょう。

A15.成長物語としては確かに微妙です。臆病で仲間を見捨てた過去の樋口健から、仲間を見捨てない完璧超人森田賢一への成長、という意味で「成長」なのでしょうね。つまり、最終試験開始から終了までの期間、ありていに言って森田賢一は特に成長していません。ただ、その前の時間も含めて作品なのだから、過去編も込みで見ると大成長です。
…「成長物語」という要素に注目・期待してしまった方は、お気の毒でした…。



Q13.なっちゃんの冤罪を訂正できなかったって、特別高等人無能すぎない?

A16.これは、恐らく訂正できなかったんじゃなくて、訂正しなかった、いやむしろ冤罪を裏から操っていたのは、特別高等人である法月だと思うのですよ。
理由は一つ、A1で書いた通りですが、根拠は「もはや背後に大きな力が働いたとしか思えないくらい長期間」なっちゃんが抑留された点ですね。あの地主の佐久間君の一族、たかがド田舎の地主でしょう。「大きな力」なんて行使できるほど強力な地盤を持っているとは思えないし、なによりも彼ら佐久間一家には日向夏美一人をそこまでして勾留する理由が無い。…と考えると、これこそが、森田が社会への不満を爆発させる最大の要因となる「冤罪のくせに幼なじみの義務を解消させなければならない」課題を法月が作るためだったとしか思えません。





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