ぼくの一人戦争

(執筆:2022/10/01-11/03)

作品テーマは、人とのつながり(関係)、特に、切ること/切られること、でしょうね。
理不尽に切られた脚は、一つの暗喩なのでしょう。
親は離婚し、突然の事故で脚を失い、父親も余命短く、そんな理不尽とも言える不幸に蓮司が苦しんでいた時、出会ったのがるみだったわけですが、そのような理不尽を蓮司に与えたのも、会という理不尽に苦しむ蓮司の母親や向坂さんのギリギリの選択だったという展開になるのでしょうか。るーすぼーいらしい幸福論のように思います。

などともっともらしいことを考えながらプレイしていました。
中盤までは。



終盤、一気に「はぁ?」ってなりましたね。
伏線が未回収というか未公開の設定があるのか、既知情報だけではどうも設定が破綻しているように見える。
以下、ひたすら設定についての疑問を長々と述べているだけですので、興味ない人(誰も興味ない気がするが)はこれで終わりです、すみません。

例えば、るみは「王」になり蓮司を「兵」として出すも蓮司を死なせたということで、蓮司はるみを憎んだ末にるみの存在を忘れてしまったはずです。実際、蓮司を死なせたことはるみが語りますし、しばらくの期間蓮司がるみという存在を忘れて一人で生活していたらしい様子が描写されます。
では、なぜ蓮司は突如るみの記憶を戻すことができたのでしょう。その辺りのルールは、至極曖昧です。なんか、絆が強ければ、また記憶を戻すためのアプローチを頑張っていたら戻るらしいってことはプレイヤーには分かりますが、当の蓮司はその辺りについてどう考えていたのでしょう。というかちゃんと考える描写がなかったですよね。明らかに長門の言(失った兵は決して戻らない)と食い違う以上、るみが何か過去に誰もやらなかった特別なことをできたため過去に誰も為し得なかった「兵の記憶を戻す」をやり遂げたのか、あるいは長門が嘘をついているかなわけですが、その最重要事項(だって蓮司自身も王として失った仲間をなんとか取り戻したいわけですから)について、全く触れない。
シナリオを進めていくと、まさに「絆が強ければ、また記憶を戻すためのアプローチを頑張っていたら記憶も戻るらしい」くらいのふわふわ感と勢いだけで仲間の記憶をガシガシ戻していきますが、いや、おかしいだろ。
蓮司が極端に現状に対し頭を働かせない様子は、作中で一貫していたし、途中までは「あーまたるーすの、『要所要所でアホになる主人公』かー」と思っていましたが、さすがにここまでくると、"もはや背後に大きな力が働いたとしか思えないくらい"主人公がアホ。極限状態から来る視野狭窄とか、そういうレベルじゃなく、なんていうかこの蓮司クン、割と一貫してアホですよね。極稀に頭良いとこ見せるけど、とてもゲーム得意なようには見えない。端的に言って、るーすが描きたい蓮司クンと実際に描かれる蓮司クンの間には大きなギャップがある。

長門が王の会を強制的に開かせ、そこで第一の兵として呼ばれた蓮司が裏切るというのがクライマックスの展開でしたが、これも博打が過ぎますよね。長門にとっての第一の兵は、さすがに蓮司ではないだろうと思ってしまいます。蓮司は「友達いなさそうだから」的なことを言ってましたが、どうもなぁ…。長門が本当に人脈ゼロの世捨て人ならそれもありそうですが、そういう描写は一切なかったというかむしろ恐ろしい権力者として怯えられていましたよね。また、何人もを成功に導いたなどとも言っていましたよね。
同じく、その長門の会に呼ばれた蓮司に両足があるのも、今ひとつよく分からない。ある程度各兵の認識どおりになるっていうのはわかりますが、にしても蓮司は別に自分が両足ある存在だとは思っていなかったでしょう。
長門関係だと、本作で一番納得いかないのが、蓮司が王の会で、長門のコストが2であること。いやいや、長門を呼ぼうとしても呼べなかったじゃないですか。(戦いには参加せず見物していたなどとよく分からないことを言っていましたが。)で、その理由として、長門大地なんていう名前だけでなく、自分は複数の名前を持っているなどとこれまた聞いたことのない設定を語りだしましたよね。
本名じゃないとそもそも呼べない(選択肢にすら挙げられない)というのは、長門が語っていました。それが正しいなら、蓮司が王の会で長門のコストが2ということは長門大地というのが本名だということになりますし、それならば会に普通に参加するはずです。(コスト2というのはそれだけ友好的であるという指標のはずですから、戦わず見物していたなどという非協力的な態度を取るような人物ならばコストはもっと高いはず。)もしも、本名云々の話自体も長門の嘘だとするなら、「場所によって別の名前を持つ」とかいう話もそうだし、そんな嘘を話す理由が分からない。

あと、沙夜を長門がそそのかして会で蓮司を殺すように仕向けたという話も、相当無理があるでしょう。そもそも沙夜は他人の顔も伺うけど正義感の強い子だし、ましてや蓮司を想う沙夜にそんなことをさせるには相当アクロバティックな理屈を並べないといけないはずだし、そんな理屈を並べたところでまるっと信じてもらえるほど長門は沙夜の信頼を勝ち得てないでしょう。たしか序盤で沙夜と蓮司と長門が顔を合わせた時に「この子は裏切る」などと本人の前で言ってましたよね。信頼する仲間の誰にも相談しないというのは沙夜っぽいと納得もできますが、にしたって、とにかく不気味で、かつ自分に対しては非友好的な存在である長門一人の言うことだけを聞いてその言う通りに行動するって、さすがに説得力に乏しいと思います。

王の骨を触った者は王になるという設定も、なんだかなぁという感。別に直接触れなくてもいいのかー、お守りとか財布ごしでもタッチしたことになるなんて交通系ICカードみたいなだなと思いました。(序盤のゾンビめいた向坂さんに噛みつかれたくだりは一体何だったんだというぼんやりとした疑問も残る)


といったところでしょうか。
とかく設定がスッキリしない。「ここはこうだったんですよ!」と出されても「えー・・・?」ってなる。
会というファンタジーについて、ルールを聞けるのはほぼ長門からだけなのに、その長門が嘘つきときたら、そりゃ設定も大渋滞になるわ。

あと、最初に感じていた様々なメタファーは、全部こちらの勘違いでした。そんなものは特になかった。
じゃあ、なんで片足を失ったという蓮司を主人公にしたのか、弟を冷徹に切るという序盤はなぜ描かれたのか、などなど、中盤までは「これをどう描いていくのだろう」と思っていたあれやこれやは、特に何も描かれることなくそのままエンディングを迎えました。
プレイ後に批評空間の感想も見てきましたが、「永治関係は何もないのかよ」というツッコミ多数でしたね。同感だし、本作ってそういう投げっぱなしが多すぎるんだと思います。
こういったツッコミに対し、本作を「ヒューマンドラマだっただろう!?○○のシーンは泣けただろう!?」などと言うのはまぁ分からんでもないですよ。そこに異論は別にないけど、こういうところが何も描かれないままでお涙頂戴的なことやってヒューマンドラマってのは、あまりにも安っぽいでしょうよ。
そういうスッカスカの安っぽいヒューマンドラマではなく、「a profile」「車輪」「G線」と各作品でそれそれきっちり芯のあるヒューマンドラマを描いてきたのがるーすの凄いところであり、本作も中盤までは割とそうでした(先生のところとか、普通に良かったでしょう)。そしてまだまだその芽はあったように見えていたのですけどね。芽吹かず終わりかー。

「G線」もそうだけど、一番のコンセプト段階で既に破綻しているんですよね、本作。
G線はそこをるーすの剛腕で完成に持っていったというのがすごいし、あの終盤だけでなく、中盤にもしっかりるーすらしいヒューマンドラマが展開されていました。
本作は、本当に、伏線という縛りにるーす自身が転んだんだろうなと思っています。
るーすぼーいって、伏線が代名詞みたいになっていますが、伏線は二の次で、真の実力・魅力はそこではないと思うんですよ。伏線なんかなくてもるーす作品の質は何ら見劣りしないと思います。(本人が張りたいなら好きに張ったらいいですが。)
本作も、るーすが描く人間像や、そこに込められたメッセージ性のようなものにずっと注目しながらプレイしていましたし、実際そのプレイの仕方で中盤までは本当に面白かったですが、それが有耶無耶なままでフェードアウトしたのは、残念の一言しかない。

あぁ・・・無念・・・無念だ・・・! このまま終わっちまうのは無念・・・
しかし・・・仕方ないのさ・・・これも・・・!
無念であることが そのまま「生の証」だ・・・!
思うようにいかねえことばかりじゃねえか・・・
生きるってことは・・・!
不本意の連続・・・

(福本伸行「天」162話)


残念無念からこの有名な某キャラのセリフを思い出しましたが、この言葉に込められたものって、G線以降のるーすとの親和性半端ないと私は思うんですよね。
本作は「理不尽」「絆」「切る」この3つがキーワードになると勝手に思い込んでいた私ですが、結局どれもキーワードにはならなかった。元々が完全に私の独り相撲なだけだったのか、それともるーすの心変わりもあったのか、本作を脱稿した時のるーすはどういう心境だったのか、満足のいくものを書けたと思っていたのであればそれはそれでいいけれど、あるいは・・・


で、今日ふと気づいたんですけど、あかべぇそふと系列の作品って、他ブランドではそうそうお目にかかれないような未完成作品の割合がすごく多いんですよ、私の観測範囲では。
まず、「暁の護衛 罪深き終末論」。これは本当に酷い。作品としての面白い部分はほぼ全部揃っているのですが、一方で誰がどう見ても未完成品。これはプレイした人なら誰でも分かる。
続いて、「コンチェルトノート」。これは実に珍しいことに、序盤が未完成品。なんで未完成品って分かるかというと、「(ここはこういう台詞)」というメモ書きのようなものがそのまま表示されるシーンが幾つかある。あと序盤に軽くバグがあるけどまぁこれは目をつぶっても良い。
で、この「ぼくの一人戦争」。
ポイントは、3作ともライターが別人で、ブランドが同じあかべぇそふと系列なんですよね。
このブランド(というか親会社)、資金繰りの関係かしらないけど、締切絶対守るマンなんじゃないですかね。一定以上は絶対延期させないマンというか。
その辺りの判断は本当にブランドによって色々で、「ご覧の有様だよ」で有名なアイ3みたいな例もあれば、「マブラヴオルタ」のように、プレイヤーも発売を半ば諦めた頃になって完成度MAXで発売という例もあるじゃないですか。
だから本作って、これはあくまでも私の想像ですが、るーすの手抜きとか燃え尽きとか、そういうのも一部あるかも知れないけど、未完成でも締切厳守のためやむなくそこで脱稿した、つまり未完成品というのが真相なのではないでしょうか。
想像に過ぎないですけどね…。

うーーん…。


こんな感じで、プレイ後ずっとモヤモヤとしています。



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